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2017年4月18日~4月22日

朝鮮民主主義人民共和国を旅して※朝鮮民主主義人民共和国以下:共和国

私はで共和国に1932年に生まれ育ち、13歳の時に日本の敗戦を迎え、以後、日本人であるがために

筆舌に尽し難い塗炭の苦しみを味わいました。

多くの同胞は伝染病(発疹チフスとジフテリア)で倒れ、捨てられました。

そこで覚悟を決め家族揃って内地に一歩でも近付きたいと思い、南北国境の38度線突破のため脱走を企て実行に移しました。しかし、「元山」駅で捕まり「銃殺刑」を言い渡されたのです。

以後の詳しい経過は省略しますが、多くの日本人が夢半ばにして消された「元山駅」は歴史の事実を残しておくためと、今、整備され日本人が訪れて来ては涙していくとの説明を受けました。

私はその場に70年ぶりに立ち、想いあまって涙が止まりせんでした。

 

共和国に行って先ず大変驚いたことは街全体がこの上なくきれいでゴミひとつ、

落書きひとつないことです。

治安の良さも日本の比ではないとのこと、ただ街中至る所に掲げられてる金日成親子の写真や

立像、また多くの人々の襟に見える「金日成バッチ」、何か威圧される思いの毎日でした。

 

生まれ育ったハムン(咸興)は朝鮮戦争での激しいアメリカの空爆で街並みは殆んどが焼失し

今の姿は私達の時代のものとは全く別であり、昔の面影は少しもありませんでした。

戦後多くの同胞が病に倒れ、無惨にも山に捨てられた場所に行って70年ぶりに心からの

哀悼の意を捧げたいと願い、それが今回の旅行の最大の目的でしたが、大変残念なことに、この願いは全くかなえられず、場所を問うても「あっち」と言われて終わりました。

なぜ、その場に近づけないのか全く説明はなく、心に大きな蟠りを抱えたまま今日に至っております。

現地で私は年齢を問われましたが85歳と伝えましたところ、大変驚いて

「この地にはそんな高齢者は一人もいないとのことでした。

これも現実の姿の一端です。

ピョンヤン等の街並みは同じような形のビルが建ち並びどの建物にもピンク、緑、紺などの

着色がされているのを見て違和感をおぼえました。

農村地帯はどこへ行っても同じ形の同じ色の家が連なっており、社会主義国であることを

実感しました。

私達には「公安」から派遣された係官が終始つきまといトイレに行く時も離れませんでした。

日程表に「海水浴場」と予定されていましたので断りましたが聞き入れられず連れて行かれそこに

1時間以上停まっていました。全く無為の時間でした。

ガイド兼通訳として終始流暢な日本で案内してくれました張さんは立派な方でとても好感が持てました。

成ることならもう一度お会いしたい気持ちです。

私は70年来の宿題を果たし今は有難い気持ちでいっぱいです。

訪朝の道筋をつけ、努力して下さったJS TOURSさんには心からお礼申し上げます。

有難うございました。

2017年9月30日

 


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