今回は2回目の朝鮮渡航。
前回の渡航で勝手はある程度分かったため大きな不安は無かった。
渡航を躊躇わせるのは料金の高さとイベントの予定がはっきりしないことだけ。
案の定、出発直前に軍事パレードが実施されないという小さなハプニングもあったが、細かいことを気にしていては朝鮮旅行は楽しめない。
昨年は北京空港の高麗航空窓口でビザを受け取ったが窓口の担当者は中国国際航空のスタッフで中身を理解していなかったためビザ受け取りまで1時間近く費やしたので心配していたが、今回は空港のカフェ前での受け取りに変わっていた。
約束の時間より早めに到着したが時間になっても誰も来ない。
将軍様のバッジを付けた人に声を掛けようかと思ったが怖くて断念。
30分以上待ったが誰も来ないためJSツアーズさんにヘルプメール。
すぐに返信があり、10分たたずやってきた担当者からビザを受け取り大急ぎで搭乗口に向かう。
汗だくになりながら搭乗口に向かうと前回渡航した時と全く同じ機体(Tu-204-100 P-633)が駐機していた。
乗客は150名程度で比較的混雑していたが飲み物は頼めば炭酸飲料を缶でもらうことができた。
今回は高麗航空のジュースがパワーアップし、果汁5%になっていた。(印字ミスで10%の上に5%のシールを貼ってあるのはご愛敬)
ほぼ定刻に平壌国際空港に到着。
別の便の到着と重なりやたら窓口が混雑していた。
今回は平壌市内観光中心のまったりとしたプランで色々なホテルを試してみたかったため毎日違うホテルに泊まることにした。
ガイドさんも前回一緒だった張さんと金さん。
ただし金さんは別な金さんだった。
宿泊先の中には中心部から離れていてアクセスが悪いホテルもあったが、どっちにしろ勝手に出歩けないのであまり関係ない。
今回の車は日帝のトヨタ車(左ハンドル)だった。
まずは黎明通りにある外国文書店で買い物をして初日の宿泊先の羊角島国際ホテルに向かい、一人寂しく夕食後、スケジュールを打ち合わせる
今回は天候があまり良くないので雨の日には買い物や屋内見学中心に組み直す。
羊角島国際ホテル
街から少し隔離された場所にありホテルのまわりは大同江に囲まれている羊角島にあるため静かだった。
部屋は高麗ホテルより少し狭いが十分な広さがあった。
高層階でも窓を開けることが出来て平壌中心部の景色を見渡せる良い部屋だった。
浴室の水を溢れさせると洗い場?に排水溝が無いため部屋が浸水ししまった。Σ(゚Д゚;
ティーセットやポットが置いてあったが肝心のお茶は置いていなかった。(笑)
コンセントは基本はCタイプ。(丸い穴が横2列のタイプ)で220Vだが、机の下には延長コードが設置されていて日本のコンセントが問題無く使えた。
噂の5階はエレベータのボタンが無いが、案内にはFloor For communication and TV Rebroadcastと書かれていた。
ネットで見た写真ではスタッフルームっぽかったので勝手に出歩かずに初日は終了。
2日目 4/22(日)
朝鮮中央歴史博物館
見学中に停電が発生。
町全体なのか建物限定なのかはわからないが、真っ暗で半分くらいしか見物出来なかったため写真集で全体を見物したつもりになる。
牡丹峰(モランボン)
楽団の方ではなく凱旋門の近くにある丘陵地帯の公園を散策した。
前回の訪問時は集中豪雨に見舞われたが今回は曇っていものの比較的暖かかったため公園内の至る所で老人が踊りをしていたり子供が遊んでいたりと思い思いに過ごしていた。
朝鮮では結婚式の記念写真を撮るのがはやっているらしく、プロのカメラマンとスタッフ数人で色々とポーズを指示していて恥ずかしくて乗るのに勇気がいりそうな馬車まで待機していた。
メアリ射撃場
ライフルは50m、拳銃は25m離れたマトや空き瓶を撃つ。
マトや瓶の場合は1発1ドル キジや鶏は5ドルかかる。
獲物?はお持ち帰り出来るらしいが持ち帰っても調理できないのでマトや瓶を相手に拳銃、ライフル、自動小銃を40発ほど射撃体験。
小さな銃弾だったので意外と反動がなく撃つことが出来た。
当たった数に応じて記念品をもらえる。
何発か当てることが出来たためシンガポール製のコーラをもらった。
光復地区商業中心
お土産を購入。
大量に買い込んだがたった7ドル。
安いが買いすぎて鞄の中に荷物が入らなくなってしまった 。
普通江(ポトンガン)ホテル
平壌駅からほど近いがホテルの周囲は恐ろしいほど真っ暗だった。
ロビーや廊下が豪華な造りで客室も天井が高く快適に過ごすことが出来た。
テレビはパナソニック製。
日本のコンセントが使用可能だった。
周囲に幹線道路がないため静かだったが超高層ホテルではないので窓からの眺望は良くなかった。
3日目 4/23(月)
この日は1日雨模様だった。
万寿台創作社
入ってすぐのところに立派なモザイク壁画と金日成主席と金正日将軍の騎馬銅像があった。
今回見学したのは銅像製作アトリエと朝鮮画のアトリエ。
銅像のアトリエではゼネガルにあるアフリカ・ルネサンスの像の原型が展示されていた。
朝鮮画のアトリエには壁一面に描かれた金剛山の景色の作品が展示されていた。
売店で作品の一部が売られていたが高すぎて手が出せなかった。
人民大学習堂
前回は工事中で見られなかった展望台を見学したが風が強く寒かった。
日本の音楽のCDは前回と同じ物だった。
鉄道省革命事績館
祖国解放戦争時のジオラマのクオリティが異常に高かった。
手前には模型があり、奥の方は絵だが境目が分からないほどのできばえだった。
ここでは祖国解放戦争での金日成主席の活躍について学ぶことが出来た。(鉄道はオマケ!?)
日帝の鉄道車輌も展示されていた。
少し時間が余ったため泊まらないのに高麗ホテルで少し休憩。
高麗ホテルのすぐ隣にある朝鮮切手博物館で切手を購入。
火星15号の記念切手や金正恩委員長様が中国で会談した記念切手などを購入。
モランボン楽団のDVDを探したが日本のプレーヤーで再生できるNTSC版はもう無いらしい。
夕食はガイドの張さんの誕生日だったため急遽お祝いに犬鍋料理店でお祝い。
最近できた高麗ホテル横のお店でタンコギ(おいしいワンちゃん料理)を食べる。
スープがピリ辛でとても美味しかった。
西山(ソサン)ホテル
青春通りの西山サッカー競技場の近くにあり都心部から少々離れていた。
街から離れているホテルで誰も客がいないのではないかと不安に思っていたが以外と混んでいた。
高層階からは遠く平壌の夜景が楽しめた。
コンセントは220Vでマルチ対応。
1階には売店もありお土産も買うことが出来た。
やはりお風呂の洗い場には排水溝が無く水を溢れさせると客室が浸水する。
4日目 4/24(火)
祖国解放戦争勝利記念館
入り口で金属探知機の検査があり空港並みの厳しさだった。
館内は撮影不可で屋外展示のみ撮影が出来た。
入り口に並ぶブロンズ像に圧倒される。
ここのジオラマも超ハイクオリティでミニチュア模型と背景画の境目が分からない。
人民も勝利の歴史を学習していて混雑していたため駆け足の見学になってしまった。
スタンプラリーのスタンプを貰うのも忘れたため再訪問しようと思う。
トロリーバス
貸し切り(運賃は約15000円)でこの道約50年のプロが1970年代の車輌を運転してくれる。
平壌駅前から祖国解放戦争勝利記念館前まで約20分ほど乗車することができた。
運転席はペダルとブレーキがあるがシフトレバーとクラッチは無かった。電気モータで動くから当たり前か。
走行音は日本の古い電車と同じような音がした。
通常の人民が利用する時の運賃は1回5ウォンで信用乗車方式だった。
当然、冷房はなかった。
万景台学生少年宮殿
案内をしてくれたのはお姉さんで美少女は後ろをついてくるだけだった。
どうやら案内の勉強中のようだ。
中に入るとそれぞれの教室で練習をしていた。
ドアの隙間から小さな子がこちらを窺っていて近くに観光客が来たことを知らせて入室すると同時に演奏を始めるようだ。
もちろん、誰も来ないときには各々の教室から演奏の音が聞こえているので来たときだけやるヤラセでも見世物でも無い。(笑)
あまり成績が悪いと半年程度で落第(゜Д゜)になにってしまうらしい。
成績の良い児童だけが引き続きプロから指導を受けられる。
どの教室でも真剣に実習に取り組んでいてとても小中学生とは思えない技量だった。
蒼光山(チャングァンサン)ホテル
金日成広場のすぐそばにあるホテル。
古く色々と抜けているホテルだった。
ちょうど訪問したとき入り口の壁画を創作中だった。
貴重な光景を見られて良かったが、単管パイプで足場が組まれて建設現場っぽかったので写真は無し。
室内にはルームエアコンが設置されていたがリモコンが無いため使うことが出来なかった。
このホテルもティーセットがあるがやはりお茶は無い。
ガイドさんいわく、もうここに泊まるのは無しにしましょうとのことだったのでガイドさんの部屋は更に酷い部屋だったのだろうか。
客室内のパンフレットを見るとシングルルームの設定があった。しかも安い。
ここのシングルルームは約7000ウォンらしいので日本円で100円以下。(゚д゚)!(商業中心のお菓子の値段から予想。)
きっと人民の利便性を図るために配慮された価格だと信じることにしよう。
ふと窓の外を見ると何と建設途中の柳京ホテルがライトアップされていた。
建設現場を撮影してはいけないと言われていたが密かに撮影することが出来た。
5日目 4/25(水)
本来は今回の旅行のメインであるパレードの日だったが予定がなくなり平壌市内を徘徊することになった。
ガイドさんも大変だったろうな。
まずは朝鮮中央動物園を見学。
パンダ以外は大体いるらしく全部見て回ったら1日かかりそうな大きな動物園だった。
ガラス越しの展示が多いが開放されてる展示では人民がお菓子やパンなどをオリの中に投げ入れていた。
象が喜んでパンを食べていたのでエサを渡すふりをしてからかったら唾をかけられた。(´Д`|||)
動物園のすぐ横には今回乗車できなかった革新線の終着駅、楽園駅があった。
広法寺
動物園のすぐそばにあるお寺で朝鮮戦争で破壊されたため復元されたものらしい。
石碑には爆撃の痕跡もあった。
日本なら破壊された時の劣化した色に復元してると思うが創建当初の姿に復元したため色が派手目な気がした。
ボウリング場
大同江のほとりにあり40レーンある本格的な施設だった。
宇都宮の在日の人が投資したらしいが最近は飽きられたのか客足が少ないらしい。。
2階には北斗の拳のスロット(日本語版)が何台も並べられていてかなり混雑していた。
朝鮮でも三店方式を導入すれば絶対に流行ると思う。
昼食後、すぐそばにある金日成花 金正日花展示館で日本が誇る金正日花と金日成花を見学。
ここで前回のツアーで一緒だった若い金さんと会った。
なんとそこには日本人観光客がいた。
JSツアーズで旅行の申し込みをして軍事パレードを見る予定だったけどパレードが中止になりすることが無くなりここへ来たらしい。
門外不出かと思っていたが金正日花の球根を買うことが出来るらしい。
烽火芸術劇場で国立民族芸術団の公演を鑑賞。
1時間少々の公演だった。
愛そう、この国が一番、アリラン、父と呼びます etc
頭に紐を付ける激しく回す農楽舞や集団での踊りなど見所沢山だった。
知っている曲も多く集団の演技も素晴らしかった。
公演終了後、遊園地に向かったが綾羅人民遊園地は閉園していたため、凱旋青年公園に向かう。
JS組で申し込んだ日本人4名が集結。
うつふぜコースターとジャイアントフリスビーに乗る。
ジャイアントフリスビーは最大120°まで振り子状に揺れる柱の先端に、回転する座席が取り付けられていて宙づりになっているような感覚を味わえる遊具だった。
偉大るな金正恩委員長様が座られた座席に乗ることが出来て色々とこみ上げてきた(酔いそうになった)
最終日の夕食は待望のアヒルの焼き肉。
遊園地での感動も収まり美味しい焼き肉を堪能。
開放山(ヘバンサン)ホテル
外観はガラス張りの外壁でぱっと見た感じ新しそうだったが中は古かった。
室内の様々な装置が故障していて古さを感じさせるホテルだった。
でも、お風呂の水が溢れても部屋は洪水にならない安心設計。
深夜になるとお風呂のお湯が止められてしまう。
ここも日本のコンセントが問題無く使うことが出来た。
家庭用ルームエアコンが設置れさていたが、リモコンが無く使うことが出来なかった。
最終日の夜ということもあり、深夜1時近くまでカラオケ大会をしてもらい、現地の綺麗なお姉さんの歌を聴くことが出来た。
好きな朝鮮の歌をリクエストして歌ってもらった。
この国が一番、アリラン、白頭山へ行こう、タンスメ、コンギョ、正月の雪よ降れ、父と呼びます、我らは万里馬騎手、告白、母の誕生日、空けてくれるな平壌の夜よetc
結構いいお値段したが朝鮮音楽を楽しむことが出来たので旅行プランに組み込んでもらってもいいかも。
6日目 4/26(木)
早朝から労働党を称える心地よい音楽が大音量で流されていて目覚める。
最終日は少し早めにホテルを出発。
出国手続きのところで10月にまた会う約束と固い握手を交わして張さんと金さんとお別れした。
出発までしばらく時間があったため空港内の売店でモランボン楽団のDVDを購入。
社会主義国家だと馬鹿にしていたが、前回訪朝時と同じ手練販売員のオバサンに色々と売りつけられてしまった。
しかも、DVDのジャケットとケースは売ってくれずにDVD本体だけ。(゜Д゜)
前回よりもDVD銀色の面のキズが無くなりクオリティが高くなっていた。
帰りの高麗航空は行きよりも多少空いていて横は誰もいなかったため快適に過ごすことが出来た。
機内販売を呼び止めると謎の薬(要注射器)を勧められそうになったため固く断り高麗航空グッズが欲しいと伝えるとすぐに持って来てくれた。
なぜか、高麗航空の手帳が行きに買った時の半額に値下げされていた。
値札を付けないので間違えただけかも。
ほぼ定刻に北京に到着。
日本行きの機内からは遠く板門店や平壌の景色が広がっていた。
今回もトラブル無く無事帰国。
最近、南北融和ムードが広がっているが朝鮮独自の文化が楽しめなくならないか心配。