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【旅行準備から北京まで】
 当初は、「本当に行けるのか?」などと様々な不安を抱いていたのですが、だいたいの旅行時期や期間、予算をジェイエス・エンタープライズさまにメールで伝えたところ、すぐに返信がありました。詳しい希望を伝えると、数日後に費用とおおまかな旅程の提案をいただきました。私の希望をほぼ叶えてくれる旅程であったため、正式に手配を依頼することに。この間、「第6回朝鮮観光ファンミーティング」に参加し、実際に訪朝された方やジェイエス・エンタープライズの方のお話を聞いたことで、「案外、簡単に行けるものだな」と思えたことも朝鮮旅行を後押しした一因でした。

 出発一週間ほど前に旅行関係の書類が到着。出発前日には担当者さまより電話があり、北京での連絡用にWeChatをダウンロードするように連絡がありました。出発当日、北京到着後、WeChatを通じて担当者さまより逐次連絡があり、スムーズにビザを受け取ることができました。多くの方が中国でのビザ受け取りに不安を感じているようでしたが、私の場合はWeChatで逐次連絡をいただいたため、特に不安を感じることもなくビザを受け取ることができました。

【訪朝】
 北京の空港で高麗航空のカウンターに行くと、「朝鮮に行く」という実感が湧いて来ました。当日は何かトラブルがあったのか飛行機の出発が遅れ、平壌には4時間遅れで到着しました。ちなみに、修学旅行に行く日本の朝鮮高校の生徒さんたちと同じ便でした。時折、日本語も飛び交い、不思議な気分になりました。
 平壌の空港では、税関で少々時間がかかりました。途中で国際旅行社のガイドさんがやってきて、無事通関。ガイドさんは申さんと金さん、運転手は張さんという方でした。
 到着後は平壌市内のレストランで夕食。ここで初めて「大同江ビール」を飲んだのですが、長旅の疲れも加わり、本当に美味しい一杯となりました。
 その後、ホテルのバーで詳しい旅程について打ち合わせ。ここで改めて希望を伝え、日程をアレンジして頂きました。

二日目。午前は万寿台大記念碑、朝鮮革命博物館、人民大学習堂、党創建記念塔を見学。別のツアーで日本から来た方(ガイドさんから「ハラボジ同志」と呼ばれていたので、以下、そう呼びます)と一緒に回りました。ハラボジ同志は南も含めて数十回は朝鮮に来ているらしく、旅行中は大変お世話になりました。
 午後は主体思想塔、紡績工場、平壌中等学校を見学。平壌中等学校では授業中の教室にもお邪魔しました。ガイドの金さんに「生徒に何か質問はありますか?」と尋ねられたので、「皆さんは将来は何なりたいですか?」と質問。1人の女子生徒は、少し恥ずかしがりながら「私は医師になりたいです」と答えてくれました。
 その後は、光復地区商業中心で買い物。日本製の商品も並んでいたのが驚きでした。

 三日目。午前は鉄道博物館、三大革命展示館、食品工場を見学。食品工場は、オートメーション化されたとても近代的な工場でした。職員用のレクリエーション施設に温水プールがあったことに驚きました。
 午後は地下鉄乗車、祖国解放戦争勝利記念館見学。祖国解放戦争勝利記念館では突然の豪雨に見舞われました。見学していた兵士たちも悲鳴をあげながら雨宿りしていました。よく見るとまだ十代くらいに見え、まだあどけなさが残る顔つきが印象的でした。雨に濡れた髪を気にする女性兵士たちの姿に、「若者らしいなあ」と思いました。
 その後は、朝鮮劇映画撮影所、万景台の金日成主席の生家を見学。万景台に着く頃には雨も上がり、すっかりいい天気になっていました。
 続いて、万景台学生少年宮殿へ。案内役に女子生徒が一人ついてくれました。彼女はどんな夢を抱き、どんな大人になっていくのだろう、と思いました。
 
 四日目。板門店・開城見学。平壌から板門店までは高速道路で約2時間半の道のりです。ハラボジ同志は、「前に来たときより道がよくなっている。金正恩委員長が板門店に行ったからかな?」と言っていました。板門店では、案内将校の引率で各種施設を見学。ガイドさんから「あの建物の間が、金正恩委員長と文在寅大統領が握手をした場所です」という案内がありました。当日は南側の兵士の姿は見られず、北側も何人かの兵士が巡回しているだけでした。
 案内将校は政治的な話題も含め、旅行者の様々な質問に応じてくれました。ハラボジ同志が「朝鮮が統一されると、将校さんも失業しちゃいますね」と冗談を言うと、「その時は統一朝鮮を守りますよ」と笑っていました。
 午後は開城市内を見学。市内では結婚式が行われていました。新郎・新婦と親戚・友人の幸せそうな姿が印象的でした。
 平壌に戻ったのちはアヒルの焼肉で夕食。夜は、ホテルのカラオケでガイドさんやハラボジ同志とお別れ会を行いました。それにしても朝鮮の皆さんはお酒に強い。私はすっかり泥酔してしまい、後半はあまり記憶がありません。

 五日目。帰国日。案の定、猛烈な二日酔いになりました。重い頭を抱えながら、慌てて荷物を整理し空港へ。空港で別れる直前、運転手さんも含めた4人で集合写真を撮りました。もう少し感動的な別れにしたかったのですが、二日酔いでそういうわけにもいかず…。これは次への宿題にしておきます。

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【朝鮮旅行を終えて】
 今回の朝鮮旅行では、朝鮮に暮らす人々を見ることができたのが最大の収穫です。国際旅行社の方々はじめ、各地で案内してくれた現地の方々、「将来は医師になりたい」と夢を語ってくれた生徒さん、地下鉄で「お兄さん、もうちょっと詰めてねー」と話しかけてきたおばさん(大阪のおばさんみたいでした)、濡れた髪を気にしていた若い女性兵士、結婚を喜ぶ新郎・新婦とそれを祝う人々…。日本からは「怖い国」にも見える朝鮮でしたが、そこに暮らす人々は日本と全く変わらない普通の人々でした。拉致問題、核問題、あるいは人権問題など、日朝間には様々な課題があります。そうであるとしても、朝鮮で見た人々が不幸にならずに済む、そして朝鮮が「近くて近い国」になる将来を願ってやみません。
 帰国後、日本であるニュースに接しました。朝鮮高校の生徒が日本の空港で修学旅行のお土産を没収された、というニュースです。旅行中、日本の朝鮮高校からの修学旅行生と一緒になることが度々ありました。直接会話をしたわけではありませんが、日本の高校生と何も変わらない、修学旅行を楽しむ生徒たちの笑顔は記憶に残っています。楽しかっただろう修学旅行の最後でこのような悲しい出来事が起きたことには、強い悲しみを感じました。在日コリアンの問題についてもっと知りたい、という思いを強くしています。
 最後になりますが、朝鮮を旅行できたことは、とても良い経験になりました。旅行を手配して頂いたジェイエス・エンタープライズさまには本当に感謝しております。帰国後、「平壌冷麺、また食べたいなあ…」と思う夏の日々です。ありがとうございました。


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